特定非営利活動法人しん
私にとっての
わたしにとっての「呻」
 〜 たかが「回文」、されど「回文」〜
 回文師 おんみょうじあじき   
 回文つくりを始めたころは、「なるべく長いものをつくろう」、「どこまで長いものがつくれるんだろう」との思いがありました。
 もちろん、これは回文つくりだけではなく、あらゆることにおいても、初めは簡単なもの。そしてだんだんとむずかしいものへ挑戦していくというのが、自然ななりゆきだとも思います。
 ところが、ある程度すすんでいくと、「自分が楽しむ」ということと「ひとにみせるため」という二つの思いが、心のなかでかっとうをはじめました。
 「楽しく面白いものを他人にも見せたい」という自然な想いと「自己顕示欲」とが、心の中で静かなたたかいをはじめたのです。
 どっちを選ぼうと自由なのですが、どうも「自己顕示欲」のほうがいつも大きく心を占めていることに気が付きました。
 「自己顕示欲」この得体の知れないばけもののようなものが心を占め、知らず知らずのうちに執着(とらわれ)となって、心の安らぎである「しあわせ」とはほど遠い状態になっていく。「もっと、もっと」と欲は限りなくふくらんで、心はがんじがらめにされていく。
 そんなとき、おしゃかさまの「心に問題があると目が外に向くんだよ」ということばが思い出されてきました。一見、回文とはなんの関係もないように思えることばですが、私にとっては、心の琴線に触れる、とても大切なことばでした。
 目が外に向きはじめてきたら、「それは心に問題があるんだよ」ということになるわけだから、チェックをおこたらないようにしています。
 それでも出てきます。だから、またチェックします。
 でも、またまた出てきます。だから、またまたチェックします。
  (「たまたま」じゃないですよ。「またまた」ですからネ!)
回文つくりのときだけでなく、生活全般を通して、「自己顕示欲」とのたたかいが続いています。これからも間違いなく、果てしなく続いていくと思われます。自分の心が「イヤーに」なっちゃうときがあります。呻きたくなるときもあります。でも、めげずにいきます。
 「自己顕示欲」でない「楽しく面白い回文」をつくりたいから。
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